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ニッカン蹴球倶楽部コラム

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2005年11月21日

バーレーン「夢の終わり」と「夢の続き」:海島 健

 W杯予選アジア5位と北中米カリブ海4位の大陸間プレーオフでバーレーンがトリニダード・トバゴにホームで敗れ、バーレーン人が眠れぬ夜をすごした翌日の11月17日、新聞各紙に悲報が載った。

 「夢の終わり。トリニダードがバーレーンの夢を打ち砕く」(英字紙ガルフデイリーニュース=GDN)

 「夢は去った」(アラビア語紙アルアヤムの1面見出し)

 今回のプレーオフが始まる前の10月下旬、「調子が出なくて苦しい時期もあったが、われわれはいい時にピークを迎えている」とGKアリハサンがGDNのインタビューに答えていたが、11月12日の第1戦はそれを??明するかのような戦いで、国民に大きな期待を持たせた。

 司令塔のMFサルミーン(日本戦でオウンゴールを決めた選手)が好調で、右DFマルズーキの後ろからのサポートや攻撃参加もすばらしく、流れの中でのチャンスが多かったのはアウエーのバーレーンの方だった。後半27分にサルマンイサが貴重なアウエーゴールをヘッドで決め先制。すぐに同点に追いつかれたものの1−1の引き分けは上々の結果だった。

 「トリニダード・トバコって、あれの5倍くらい強いかと心配していたけど、たいしたことなかったね」などと浮かれ気分の人も多かった。

 上々の結果に終わった初戦だが、敗退への伏線が潜んでいた。第1戦を両チームのほとんどの選手がイエローカードを1枚持った状態で臨んだため、カードをもらわないようにすることが大きな課題だったのだが、この試合、2枚のカードが出された。それがバーレーンのサルミーンとマルズーキで、第2戦は主力中の主力2人が出場停止になってしまった。

 4日後の16日、ホームでの第2戦、カタールやサウジアラビア、UAEといった湾岸諸国の人たちも応援に駆けつけ、スタジアムは満員??なった。

 だが、サルミーン不在の中盤はあまり機能せず、相手にプレスをかけられボールを奪われるシーンが目立った。2人の穴を埋めるためにポジション変更を余儀なくされた選手が多かったせいかパスの呼吸も合わず、選手はいら立ちをあらわにする。それでも何とか前半を0−0で折り返した。

 アジア5位決定戦(対ウズベキスタン)の時と状況は全く同じになってきた。0−0でもいいのだ。チームの出来はよくなくても… と。そんな淡い期待はまもなく打ち砕かれることになる。

 後半に入ってすぐ、先制されるとスタジアムは一部を除いて静まり返った。「今日の調子だと点を入れるのは厳しそうだ」と感じているようだった。3万人収容のスタジアムの一角に陣取った300人ほどのトリニダードトバコのサポーターが大音量で奏でる陽気なサンバがバーレーンサポーターの心に突き刺さる。

 最後の15分はロングボール頼みの攻撃を試み、いくつかのチャンスがあったが、決まらないとスタジアムに沸き起こる落胆の叫び、罵声、怒号。不穏な雰囲気は選手にプレッシャーを与え続けた。6月3日の日本戦の時と同じ様に15分以上前に早??と家路につく人も。そして最後は小競り合いに乱闘、FWフセインアリの「幻のゴール」。夢はあっけなく消え、大きな落胆、怒りがスタジアムに充満した。「夢をありがとう」では終わらなかった。

 「もうこんなチャンス2度と来ないよ」としょげ返るバーレーン人は多い。無理もない。育成システムも他国ほど立派ではなく、財政面でもそれほど恵まれているわけではないこの国は、突如現れたと言ってもいい黄金世代の勢いでここまでやってきたのだから。このショックは「次こそは…」に期待が持てた日本の「ドーハの悲劇」の比ではないのかもしれない。

 それでも、W杯に出場するには32年ぶりに出場を決めたオーストラリアの例を出すまでもなく、何度もドアをたたくしかない。今のバーレーンの黄金世代は22〜24歳。10年W杯南アフリカ大会に向けて再出発しても十分に間に合う。

 いろいろな意味で本当に準備ができるまでサッカーの神様はW杯の扉を開けてはくれないのではないか、と感じさせられた今回の最終予選。だが、人口約70万人と千葉市と同程度の規模の小国がアジアで最も長く予選を戦い、W杯出場まであと1歩と迫った未完のシンデレラストーリーに拍手を贈ろうではないか。

 そして湾岸の昇竜の「夢の続き」を見守り続けたい。

海島 健(うみしまけん/バーレーン大学講師)
 1965年、東京生まれ。一橋大学社会学部卒、97年よりバーレーン在住。98年バーレーンでのガルフ杯のころからバーレーンの試合を見続けている。湾岸の弱小国の時代から追いかけているだけに、06年W杯ドイツ大会の最終予選の組み合わせ(日本とバーレーンが同組)には感慨ひとしおだった。現在はバーレーン大学で日本語の講師を務めており、蹴球倶楽部では中近東のサッカー情報を伝える。

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