このページの先頭



ここから共通メニュー

共通メニュー

ホーム > 2006年ドイツW杯 > コラム > ニッカン蹴球倶楽部


ここからページ本文

ニッカン蹴球倶楽部コラム

バックナンバー一覧

2006年07月10日

行け!俺たちのニッポン!:煙山光紀

zico0622.jpg

 民放ラジオ97社の代表として、ドイツに来てから1カ月半たちました。いよいよ、明日9日は決勝戦という日に、この原稿を書いています。日本代表については、もう“オシムジャパン”に皆さんの興味は移っていると思いますが、あえて“W杯でのジーコジャパン”について感じたことを書きます。

 正直、不完全燃焼でした。気持ちの面で言えば、マルタ戦を境に、ヒデがチームメイトをどなりつけることがなくなりました。お互いが距離を置き“よそよそしい関係”になってしまったように見えました。そして、ヒデからの刺激を受けることのなくなったチームからは、なにくそというエネルギーがもたらす力も消えてしまった。

 コンディションについても、そう。暑さがあったことを差し引いても、日本のストロングポイントのはずの、俊敏性や持久力が存分に発揮されなかった。クロアチア戦の終盤、自陣でしのいで、さあカウンターという時に、全員(!)の足が止まってしまった姿は、まるでファウルの笛が鳴って、動くのを止めたのか?と思うくらい無残なものでした。

 「お前ら、走れよ!」ぼくの隣で泣きそうな顔で叫んでいたサポーターの顔が目に焼き付いています。

 ジーコも“らしくなかった”。

 ぼくの勝手な思い込みだったのかもしれませんが、ジーコならば、W杯という舞台でも、彼一流の、現役のプレーヤーのような鋭い目で戦況を見極め、自然体で、シンプルな采配をふるうのだと思っていたのが、一転して“煮え切らない采配”になってしまった。

 オーストラリア戦の柳沢から小野への交代が、象徴的だったと思います。メッセージが伝わりにくかった。

 「1点を守りきるのか、もう1点とってとどめを刺すのか?」

 宮本選手が「守備陣は守りきりたい。攻撃陣はもう1点取りたいという意識のズレがあったと思う」と言う状況で、この交代は、あいまいで、かえって混乱を招いたようにすら見えました。我々取材陣の中でも意見が分かれました。「あれは、当然、攻めろという意図でしょ? えっ、ジーコが逃げ切るはずのサッカーでミスが出たって言ってたの? それ、ほんと?」 「中盤を厚くして逃げ切る常識的な采配ですよ。柳沢と代わるので選手がびっくりした? そんなの言い訳だよ」等々・・・・・

 現在(いま)、日本からやってきた報道陣や、サポーターと、決勝トーナメントを戦うチームのすばらしさを語る時、いつも、気が付くと、日本代表の話になってしまいます。そして、ぼくは、本来持っている力を出しきれずに、もがきながら終わった彼らを思うと、泣きたくなるくらい、やるせない気持ちになります。

 でも、サッカーは続いていきます。

 ジーコジャパンの4年間がもたらしたもの。
“やらされるのではなく、自分たちがやるサッカー”
“戦う前に強豪国の名前にビビるくらいならやめてしまえ!”という強い気持ち
“小気味良くパスをつなぐ、魅力的なスタイル”

 これらが、日本代表の遺伝子として受け継がれ、いつの日かW杯で実を結ぶ日を信じています。

 さあ、もう1度、顔を上げて、胸を張り、「行け!俺たちのニッポン!」

※写真はW杯1次リーグのブラジル戦でのジーコ監督

煙山光紀(けむやまみつのり/ニッポン放送サッカーパーソナリティー)
 マイクネーム「ケムケム」。1962年広島生まれの大阪育ち。立大経済学部卒。ラジオたんぱ、テレビ北海道を経て1994年ニッポン放送に完全移籍。2002年W杯では日本対ロシア、日本対トルコ戦を実況。劇画調ケムケムワールドにリスナーを誘います。座右の銘は「人生、楽ばかり」。HPはhttp://www.1242.com/

ここからサイドエリア

 

このページの先頭へ

ここからフッターエリア