2006年06月14日
日本中が悲しみにくれている…でも、今は最高に幸せかもしれない
「心なしか、みんな元気がない。下を向いて歩いているような気がするんですよ」。タクシーの運転手はそう言って、ため息をついた。言われてみれば、何となく街を歩く人たちの元気がないように見える。電車の中では、子供の手を引いたお母さんたちが「選手交代が遅過ぎる」とジーコ監督を批判し、昼休みの喫茶店ではサラリーマンが「FWの決定力がなさ過ぎる」とテーブルをたたく。一晩たっても、日本中が敗戦を悔しがっていた。
サッカーが、日本人にこれほど浸透しているとは思わなかった。これほど勝敗に興味が持たれているとも思わなかった。別に日本代表がW杯で負けたって、日々の生活に影響するわけじゃない。それでも、日本中が試合の結果に一喜一憂する。かつて、欧州や南米のサッカー「先進国」に限られると思っていたことが、日本でも起きている。
93年のドーハの悲劇も注目はされたが、まだサッカーが根付いているという感じはなかった。「W杯という大会がある」ことが広く認識されただけだ。98年のフランス大会で3連敗した時も、出場だけで満足していた。02年の日韓大会の時も決勝トーナメントに進出して「よくやった」という空気だった。ここまで順調過ぎるぐらい順調だった日本にとって、初めて味わう失望感かもしれない。
「サポーター」という言葉が使われ始めてから、まだ15年もたっていない。それまでは「ファン」という呼び方が一般的だった。「ファンは応援する人、サポーターはともに戦う人」と違いを説明された。それが、ようやく実感として分かるようになってきた。かつては、わずかなファンの「残念だった」で終わったが、今は多くの「ともに戦う人」が選手と一緒に悲しみ、失望感を味わい、反省し、監督や選手に意見をする。負けた直後に書くのも気が引けるが、日本サッカーは今、最高に幸せな時代にあるのかもしれない。
- 荻島弘一(おぎしま・ひろかず)
- 84年入社。スポーツ部でサッカー、五輪などを担当した後、96年からスポーツ部デスク。98〜00年は日刊スポーツ出版社編集長。東京都出身。44歳。


