このページの先頭



ここから共通メニュー

共通メニュー

ホーム > 2006年ドイツW杯 > 大会データ > 過去の大会アラカルト


ここからページ本文

大会アラカルト

第1回(1930年)
第3代FIFA会長ジュール・リメ(フランス)の尽力で初開催。予選なしだったが、申し込んだのは13カ国だけ。
第2回(1934年)
初めて予選を実施。世界の地域割りが行われ、関心が一気に高まった。
第3回(1938年)
イタリア連覇に貢献したジュゼッペ・メアッツァの名は、ACミランとインター・ミラノのホームスタジアム名として残る。
第4回(1950年)
決勝(マラカナン・スタジアム)には20万人が集まった。地元ブラジルがウルグアイに逆転負けし、自殺者が出る騒ぎに。
第5回(1954年)
FIFA創設50周年。日本も予選に初参加したが、韓国に屈した。V候補ハンガリーが西ドイツとの決勝で、2−0とリードしながら、2−3で逆転負けした。
第6回(1958年)
ブラジルのペレ(当時17)が、スウェーデンとの決勝での2点を含む6ゴールで鮮烈デビュー。史上最年少の優勝選手となった。
第7回(1962年)
チリが3位に食い込む健闘。ブラジルは、ペレが予選リーグで負傷しながらも連覇。
第8回(1966年)
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がイタリアを破ってアジア初勝利をマークし、8強入り。決勝初の延長で、バーから真下に落ちたイングランドの「疑惑のゴール」にベッケンバウアーを擁した西ドイツは落胆。
第9回(1970年)
過去2度優勝同士の決勝は、ブラジルがペレ、ジャイルジーニョらのゴールにより、4−1でイタリアに快勝。
第10回(1974年)
ベッケンバウアー主将率いる西ドイツが、クライフを擁するオランダを下して地元V。
第11回(1978年)
オランダを下して地元Vのアルゼンチンは、エースのケンペスが得点王、MVPに輝いた。日本で録画中継(決勝は生)が始まる。
第12回(1982年)
マラドーナ(アルゼンチン)がデビューしたが、退場処分を食うなど若さを露呈。イタリアがジーコ、ファルカン、ソクラテスら黄金の中盤を誇るブラジルを破り、優勝した。ロッシがMVPに。
第13回(1986年)
マラドーナが準々決勝のイングランド戦で、自陣から6人抜きで決めた得点は「史上最高のゴール」として伝説となる。決勝でも、ブルチャガへの絶妙パスを出し、MVPとなった。
第14回(1990年)
カメルーンが開幕戦でアルゼンチンを下して8強入り。初めて3大会連続決勝進出を果たした西ドイツが、前回Vのアルゼンチンに借りを返す形となった。MVPは主将のマテウスが獲得。
第15回(1994年)
ロマーリオ、ベベトらのブラジルが24年ぶりの優勝を勝ち取り、興奮に包まれたサッカー王国では、約30人の市民が騒ぎに巻き込まれて死亡。米国戦でオウンゴールを入れたエスコバル選手(コロンビア)が祖国に帰国後、射殺された。
第16回(1998年)
日本は初めて本大会に出場したが、1次リーグ3戦全敗。地元フランスが前回優勝のブラジルを破り、初優勝した。大会7試合を通じて2失点は過去最少。初出場のクロアチアが3位と健闘し、FWスーケルが通算6ゴールで得点王を獲得した。
第17回(2002年)
史上初となるアジアでのW杯は、日本と韓国の共同開催となった。日本はベスト16、韓国は4位と大健闘。ブラジルが、得点王に輝いたロナウドらの活躍で、5度目の優勝を果たした。ドイツのカーンが、GKとして初のMVP受賞。

ここからサイドエリア

 

このページの先頭へ

ここからフッターエリア