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ストライカー2人の思いは?/ビバW杯

 ストライカーの星の下に生まれた2人も、W杯の申し子にはなれなかった。日本-クロアチア戦が行われた6月18日は、くしくも2人の天才FWの誕生日。同じ76年生まれ。だが節目の30歳を、ドイツの地で迎えることはできなかった。

 11得点はジーコジャパン最多。横浜久保は、指揮官から一時「代表の核」と呼ばれた。だがコンディション不良で、メンバー落選。02年に次ぐ悲劇に「いいチャンスだった。つかめそうだったんだけど」と瞳を潤ませた。落胆から直後のクラブ練習も休んだ。ショックはファンも同様。彼らがW杯を見る楽しみが減ったのでは? の問いに「そんなことはない。すげえやつがたくさん出てくるから、見た方がいい。オレはテレビで見る。試合時間が遅すぎて、寝てしまうかも知れんけど」。冗談めかした背中が、やけに寂しく見えた。

 C大阪西沢は、ジーコ監督に1度も招かれなかった。00年フランス戦のボレー弾など、世界クラスのゴールは今でも記憶に残る。しかしW杯には苦い思いしかない。02年W杯は直前に虫垂炎を患い、26歳の誕生日に迎えたトルコ戦で先発復帰も無得点。その後、1度は「過去の人」になりながら、昨年末から全盛期の動きを取り戻した。代表入りを望む声も高まったが「もう代表はいい」。一流選手が最高の状態で臨むのがW杯―が持論。慢性的なでん部痛で、自らW杯への思いを断ち切った。クロアチア戦は、トルコ戦と同じ6月18日。「プレッシャーは想像を超えていた」。4年前の大舞台は昨日のことのように、覚えている。

 2人のプレーには、危険なゴールの香りが、いつも漂っていた。日本人離れした身体能力、常人の想像を超えた発想。世界が相手でも、何かやらかしてくれるんじゃないか-。だがその答えは、永遠に封印されることになるかもしれない。【塩畑大輔】

[2006年6月19日7時57分 紙面から]


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