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オーストラリア

オセアニア地区

8大会ぶり2度目

監督
フース・ヒディンク
オーストラリア代表メンバー
位置 No. 名前
GK シュワルツァー
18 チョビッチ
23 カラッチ
DF ニール
ムーア
ポポビッチ
14 チッパーフィールド
16 ボーシャン
22 ミリガン
MF ケーヒル
チュリナ
エマートン
スココ
11 ラザリディス
13 グレラ
20 ウィルクシャー
21 ステリョフスキ
23 ブレシアーノ
FW ビドゥカ
10 キューウェル
15 アロイージ
17 トンプソン
19 ケネディ
戦力チャート図
戦力チャート図
大陸別予選成績
  年/月/日 スコア 相手 HA
2次 2004/05/29 1○0 ニュージーランド
2004/05/31 9○0 タヒチ
2004/06/02 6○1 フィジー
2004/06/04 3○0 バヌアツ
2004/06/06 2△2 ソロモン諸島
決勝 2005/09/03 7○0 ソロモン諸島
2005/09/06 2○1 ソロモン諸島
PO 2005/11/12 0●1 ウルグアイ
2005/11/16 1○0 ウルグアイ

 オーストラリアは、たった2試合の「予選」で32年ぶりの出場を決めた。実際には、2次予選5試合、最終予選2試合の後がウルグアイとのプレーオフ。もっとも2次予選は4勝1分けで得点21、失点3。ソロモン諸島との最終予選も2連勝で得点9、失点1と相手にもならなかった。

 オーストラリアの最大の悩みは、同じオセアニア予選で競り合う相手がいないこと。本来なら最高のチーム強化になるはずの場が、ほとんど強化につながらない。厳しい予選の末にプレーオフに進んだ国との経験の差が、毎回あと1歩でW杯を逃す原因だった。

 メンバー的にもベスト布陣だったのはプレーオフだけ。FWキューウェルらは今予選初出場がウルグアイ戦だった。「代表チームとして経験できる試合が少なすぎる」は、ヒディンク監督の悩みでもあった。次回からはアジア予選に参加する。厳しい戦いを何試合も積めば、チーム力はさらにアップするはずだ。

ヒディンク監督

オーストラリア代表はヒディンク監督抜きには語れない。05年7月に就任。翌8月に始動した時、W杯オセアニア最終予選を1カ月後に控えていた。短い準備期間にもかかわらず、ソロモン諸島を2戦合計9−1で一蹴。南米予選5位のウルグアイとの大陸間プレーオフは2戦合計1−1とし、PK戦の末にW杯切符を勝ち取った。
 W杯では98年にオランダで4強、02年には韓国を率いてベスト4に進出したカリスマ指揮官の影響力は、絶大だった。オランダの強豪PSVの監督も務める。W杯出場32カ国で1人だけの兼任監督だが、ハンディを感じさせない。以前から同代表を知るアーノルド・コーチ、ヒディンク監督と旧知のニースケンス・コーチの2人を効果的に使い、監督不在でも合宿、試合をこなしてきた。
 この男がベンチで指揮を執る。ただそれだけで、相手チームには、プレッシャーになる。

32年ぶり突破

 オーストラリアにとって、大陸間プレーオフは鬼門だった。90年はスコットランド、94年はアルゼンチン、98年はイラン、02年はウルグアイと過去4大会連続でプレーオフで敗退。今回は、74年以来32年ぶりの本大会出場だった。

海外組

 主力は、ほとんどが欧州でプレーする。大陸間プレーオフに招集された23人中、国内リーグ所属選手は1人だけ。そのFWトンプソンも1月にPSVへ移籍した。

サッカールー

 同代表の愛称。サッカーとカンガルーとの造語。U−17(17歳以下)代表はジョーイズ、女子代表はマチルダスと呼ばれる。

アジア

 昨年9月、オセアニア連盟からアジア連盟への転籍が承認された。次のW杯では、アジア予選に組み込まれる。

(データは2006年5月1日現在)

チームデータ

過去のW杯
初出場
第10回西ドイツ大会(1974年)
出場回数
2回
W杯最高位
1次リーグ敗退
基本情報
正式名
オーストラリア連邦(Commonwealth of Australia)
首都
キャンベラ
面積
774・1万平方キロ
人口
2012.5万人(2004年)
1人当たりの国民所得
19530ドル(2002年)

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