3大会連続12度目
- 監督
- レイモンド・ドメネク
位置 | No. | 名前 |
---|---|---|
GK | 1 | ランドロー |
16 | バルテズ | |
23 | クペ | |
DF | 2 | ブームソン |
3 | アビダル | |
5 | ガラス | |
13 | シルベストル | |
15 | テュラム | |
17 | ジベ | |
19 | サニョル | |
21 | シンボンダ | |
MF | 4 | ビエラ |
6 | マケレレ | |
7 | マルダ | |
8 | ドラソー | |
10 | ジダン | |
18 | ディアラ | |
22 | リベリー | |
FW | 9 | ゴブー |
11 | ビルトール | |
12 | アンリ | |
14 | サア | |
20 | トレゼゲ |
- 戦力チャート図
年/月/日 | スコア | 相手 | HA | |
---|---|---|---|---|
4組 | 2004/09/04 | 0△0 | イスラエル | H |
2004/09/08 | 2○0 | フェロー諸島 | A | |
2004/10/09 | 0△0 | アイルランド | H | |
2004/10/13 | 2○0 | キプロス | A | |
2005/03/26 | 0△0 | スイス | H | |
2005/03/30 | 1△1 | イスラエル | A | |
2005/09/03 | 3○0 | フェロー諸島 | H | |
2005/09/07 | 1○0 | アイルランド | A | |
2005/10/08 | 1△1 | スイス | A | |
2005/10/12 | 4○0 | キプロス | H |
ジダン前とジダン後。フランスのW杯予選は、MFジダンの復帰を境にして状況が大きく異なる。
04年の欧州選手権後、代表から引退していたジダンが復帰を表明したのは05年8月。この時点、フランスは、欧州予選4組で4位(2勝4分け)だった。負けないが、勝ちきれない。こんな状況を好転させた。
DFテュラム、MFマケレレも同時に戻り、チームは活気づいた。9月の2試合で連勝し、2位に浮上した。残りは2試合。勝てばW杯出場が決まる10月8日のスイス戦で引き分け、自力突破が苦しくなった。しかし、同12日のキプロス戦で4−0の勝利。ライバルのスイスが引き分けたことで、逆転1位での本大会出場を決めた。先制点を決めたのはジダン。劇的な幕切れだった。
予選成績は5勝5分けの勝ち点20。欧州全8組中、最も少ない勝ち点での1位突破だったことは、それだけ混戦だったことを浮き彫りにしている。
ジダン依存症
02年日韓大会。前回98年の王者は開幕戦でセネガルに金星を献上すると一気に失速し、3試合無得点のまま1次リーグで敗れ去った。その原因は大会直前に左太ももを故障したMFジダンの離脱。この4年間の最大テーマは「脱ジダン」だったが結局、今大会も世界屈指の天才MFに頼らざるを得ないようだ。04年の欧州選手権後に1度は代表を引退。だが、W杯予選で苦しむ母国の惨状を見かねてDFテュラム、MFマケレレを誘い、05年9月のフェロー諸島戦から復帰した。ジダンも1次リーグ最終戦トーゴ戦が行われる6月23日で34歳。汚名返上なるかは、新将軍にかかっている。
星座占い
ドメネク監督は指導者の駆け出し時代から星座占いをメンバー選びの参考にしてきた。さそり座のMFピレス(アーセナル)に関して「この星座はファイターが多く、中盤に2人いると互いを殺し合ってしまう」と05年以降は代表に招集していない。
シャンパンサッカー
将軍プラティニが中軸だった80年代、ポンポンと小気味よくそう快なパス回しを駆使したことからネーミングされたとされる。芸術の国は観衆も酔わせるスタイルを好んだ。
守護神争い
実績あるバルテズと新鋭クペの2人が定位置争いを演じている。W杯予選途中、審判へのツバ吐き事件で長期出場停止となったバルテズの留守中にクペが正GKの座をゲット。ドメネク監督はギリギリまで正GKを固定しない方針。
(データは2006年5月1日現在)
過去のW杯
- 初出場
- 第1回ウルグアイ大会(1930年)
- 出場回数
- 12回目
- W杯最高位
- 優勝(1998年)
基本情報
- 正式名
- フランス共和国(French Republic)
- 首都
- パリ
- 面積
- 55・2万平方キロ
- 人口
- 6003・3万人(2004年)
- 1人当たりの国民所得
- 22240ドル(2002年)