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イタリア

欧州地区

12大会連続16度目

監督
マルチェロ・リッピ
イタリア代表メンバー
位置 No. 名前
GK ブフォン
12 ペルッツィ
14 アメリア
DF ザッカルド
グロッソ
カンナバロ
バルザリ
13 ネスタ
19 ザンブロッタ
22 オッド
23 マテラッツィ
MF デロッシ
ガットゥーゾ
10 トッティ
16 カモラネージ
17 バローネ
20 ペロッタ
21 ピルロ
FW デルピエロ
トニ
11 ジラルディーノ
15 ヤクインタ
18 インザーギ
戦力チャート図
戦力チャート図
大陸別予選成績
  年/月/日 スコア 相手 HA
5組 2004/09/04 2○1 ノルウェー
2004/09/08 1○0 モルドバ
2004/10/09 0●1 スロベニア
2004/10/13 4○3 ベラルーシ
2005/03/26 2○0 スコットランド
2005/06/04 0△0 ノルウェー
2005/09/03 1△1 スコットランド
2005/09/07 4○1 ベラルーシ
2005/10/08 1○0 スロベニア
2005/10/12 2○1 モルドバ

 予選は本大会への実験だった。04年8月に就任したリッピ監督は、初采配となった同18日のアイスランドとの親善試合に0−2と完封負けした後、チーム改革に着手。FWジラルディーノ、MFデロッシ、DFボネーラらアテネ五輪組を積極的に登用するなど60人を超える選手を招集。1次リーグで敗退した欧州選手権組との融合を図った。

 予選を通して台頭したのは、FWトニだ。当初は控えFWとしてベンチ入りしていたが、今年9月のベラルーシ戦で3得点するなど抜群の得点能力を発揮。終盤はトップ下にトッティを置いて2トップにトニとジラルディーノという布陣が定着した。逆に長く代表を支えてきたデルピエロやビエリらベテランFW陣は代表落ちのピンチ。予選10試合を通して、前線の顔ぶれは完全にかわったと言える。

王子様

 イタリア国民が最も注目しているのはFWトッティの復帰時期だ。2月19日のエンポリ戦で左足首を骨折。全治2カ月の重傷だった。ベルルスコーニ首相が「我々の主将がW杯に出場できることを願う」と声明を出すほど、大黒柱の存在は大きい。
 過去3度のW杯優勝を誇るも、94年米国大会(準優勝)を最後に決勝の舞台を踏んでいない。伝統の守備偏重から攻撃的なサッカーへの移行が、王座奪還のカギを握る。前線の人材は豊富でも「打倒ブラジル」を掲げるリッピ監督の戦力構想に、絶対的な司令塔は欠かせない。02年日韓大会は韓国戦で警告2枚を受けたトッティの退場が響き、ベスト16で敗退。同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。トッティは3月末からボールを使った練習を開始。ローマの王子が復帰を果たしたとき、イタリア復活の気運が一気に高まる。

改革派の指揮官

 リッピ監督は04年8月に就任した。82年にサンプドリアのユース監督を務めた後、ナポリやユベントスを指揮した。アテネ五輪組の若手を含む60人以上を積極的に起用し、攻撃的チームへの変革を進めた。W杯期間中での性交渉も容認する方針。

カテナチオ

 イタリア語で「扉の差し金」。スイーパーを1人余らせ、残る選手がゴール前で相手を1対1でマークする同国の古典的な守備の戦術名。80年代以降はゾーンでの守備が主流となり、現在では点をやらないイタリアのサッカー哲学を指す言葉となる。

予選は吉兆

 7勝2分け1敗で終えた欧州予選が、本大会での躍進を期待させる。予選最終戦を待たずにW杯出場権を獲得したのは、優勝した82年スペイン大会以来。さらに予選を1敗で乗り切った過去4回は優勝と準優勝が各1回。無敗で予選突破したケースより好成績を収めている。

アズーリ

 イタリア語で青色を表すアズーロの複数形で、代表チームの愛称。これまでは伝統の地中海ブルーのユニホームが愛称の由来とされるのが一般的だった。最近では、1861年にイタリアを統一したサボイア家の紋章「青い盾」にあるとする説が有力となっている。

(データは2006年5月1日現在)

チームデータ

過去のW杯
初出場
第2回イタリア大会(1934年)
出場回数
16回
W杯最高位
優勝(1934年、1938年、1982年)
基本情報
正式名
イタリア共和国(Republic of Italy)
首都
ローマ
面積
30・1万平方キロ
人口
5781・6万人(2004年)
1人当たりの国民所得
19080ドル(2002年)

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