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日本

アジア地区

3大会連続3度目

監督
ジーコ
日本代表メンバー
位置 No. 名前
GK 楢崎 正剛
12 土肥 洋一
23 川口 能活
DF 茂庭 照幸
駒野 友一
宮本 恒靖
中田 浩二
14 三都主アレサンドロ
19 坪井 慶介
21 加地  亮
22 中沢 佑二
MF 遠藤 保仁
中田 英寿
小笠原満男
10 中村 俊輔
15 福西 崇史
17 稲本 潤一
18 小野 伸二
FW 高原 直泰
11 巻 誠一郎
13 柳沢  敦
16 大黒 将志
20 玉田 圭司
戦力チャート図
戦力チャート図
大陸別予選成績
  年/月/日 スコア 相手 HA
1次3組 2004/02/18 1○0 オマーン
2004/03/31 2○1 シンガポール
2004/06/09 7○0 インド
2004/09/08 4○0 インド
2004/10/13 1○0 オマーン
2004/11/17 1○0 シンガポール
最終B組 2005/02/09 2○1 北朝鮮
2005/03/25 1●2 イラン
2005/03/30 1○0 バーレーン
2005/06/03 1○0 バーレーン
2005/06/08 2○0 北朝鮮
2005/08/17 2○1 イラン

 日本は予選参加国でW杯出場一番乗りを果たした。1次予選6戦全勝、最終予選5勝1敗の12戦11勝1敗という好成績。しかしジーコ監督が「いばらの道」と表現したW杯予選は、決して楽な戦いではなかった。

 1次予選では、初戦のオマーンにロスタイム決勝弾で薄氷勝利。続くシンガポール戦も1点差勝ちと、国内組と欧州組がうまく融合せず、チーム力を発揮できなかった。しかし、その後の欧州遠征で経験を積み、アジア杯にも優勝して成長。負ければ敗退危機にあったオマーンとのアウエー戦(5戦目)に勝ち、1次予選突破を決めた。

 最終予選でも北朝鮮との初戦は1点差勝ち。2戦目のイランに黒星を喫するなど苦戦したが、負ければジーコ監督の進退問題に発展するバーレーン戦にオウンゴールで勝利。勢いに乗り6月2連戦に連勝して3大会連続の出場を決めた。

ジーコ流

 トルシエ前監督のように選手を型にはめ込むのではなく、ジーコ監督は選手たちに自分で考え、プレーする「自由」を与えた。指示待ちに慣れている選手たちは、細かい指導をしないジーコ流に当初は戸惑いを見せ、指導力に疑問の声も上がった。さらに欧州組と国内組が一緒に練習する時間が少なかったことも重なり、04年2月にスタートしたW杯アジア1次予選では苦戦の連続。しかし合宿で生活を共にし、戦いを重ねるにつれて選手はジーコ流を理解し、自分たちの力でピッチ内で難しい局面を打開する能力を身につけていった。解任騒動や選手の規律違反など、W杯出場までの道のりは決して平たんではなかったが、3大会連続出場を決めた。

一番乗り

 05年6月8日、無観客の第3国(タイ)開催となった北朝鮮戦に2−0と快勝。出場32チーム中、開催国ドイツを除いて世界一番乗りでW杯の出場権を獲得した。アジア予選は12戦11勝1敗の好成績だった。

勝負強さ

 3度目のW杯出場だが、ジーコジャパンの特徴は終盤での勝負強さ。92年のオフトジャパン以降、後半44分以降の残り1分でのゴールは18回ある。そのうち同点&決勝弾に限れば9回中6回がジーコジャパンと「あきらめない精神」が定着。

有名監督

 どこに遠征しても知られているのがジーコ監督。記者会見で対戦相手の監督、記者が日本選手を知らなくても、ジーコ監督を知らない者はいない。日本協会広報部によると、海外で取材依頼件数が最も多いのはジーコ監督だという。

「青」日本

 日本協会が主体となって列島、試合会場を青く染める各種プロジェクトで日本代表を後押しする。

(データは2006年5月1日現在)

チームデータ

過去のW杯
初出場
第16回フランス大会(1998年)
出場回数
3回
W杯最高位
ベスト16(2002年)
基本情報
正式名
日本国(JAPAN)
首都
東京
面積
37・8万平方キロ
人口
1億2763・5万人(2004年)
1人当たりの国民所得
34010ドル(2002年)

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