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チュニジア

アフリカ地区

3大会連続4度目

監督
ロジェ・ルメール
チュニジア代表メンバー
位置 No. 名前
GK ブムニジェル
12 ネフィジ
22 カスラウィ
DF ハグイ
ヤヒア
トラベルシ
メリエ
15 ジャイディ
18 ジェマリ
19 アヤリ
21 サイディ
MF ナフティ
10 ゴドバン
12 ムナリ
13 ブアジジ
14 シェドリ
20 ナムシ
23 メリティ
FW エセドリ
ジャジリ
シハウイ
11 サントス
17 ベンサーダ
戦力チャート図
戦力チャート図
大陸別予選成績
  年/月/日 スコア 相手 HA
2次5組 2004/06/05 4○1 ボツワナ
2004/06/20 1●2 ギニア
2004/09/04 1△1 モロッコ
2004/10/09 2△2 マラウイ
2005/03/26 7○0 マラウイ
2005/06/04 3○1 ボツワナ
2005/06/11 2○0 ギニア
2005/08/17 1○0 ケニア
2005/09/03 2○0 ケニア
2005/10/08 2△2 モロッコ

 攻撃サッカーで、波乱のアフリカから3大会連続のW杯出場を決めた。予選10試合で25得点はアフリカ予選30カ国の中でエジプトの26点に次ぐ2位。W杯切符を手にした5カ国ではトップ。フランスを率いて00年欧州選手権を制したロジェ・ルメール監督が、攻撃的なチームをつくり上げた。

 序盤は1勝2分け1敗と苦戦。だが第5節マラウイ戦でアヤックス所属の右DFトラベルシが代表に復帰。7−0と大勝して、一気に波に乗った。その後は5連勝。04年アフリカ選手権王者は、勝ち点1差で2位モロッコを上回り、ドイツへの切符を手にした。

 攻撃はサイド攻撃が中心。トラベルシと左DFクレイトンを起点に攻め、点取り屋のFWサントスが決める。03年にブラジルから帰化したエースFWは予選7試合6得点。1分け2敗だった02年W杯の屈辱を、自慢の攻撃力で晴らす。

チュニジアの心臓

 右サイドバックのDFハテム・トラベルシ(29)が、チームの大黒柱だ。豊富な運動量を生かして、タッチライン際を激しく上下動する。チュニジアの攻撃は右から始まる、と言われるほど依存度は高い。攻守の軸として、チームでは唯一無二の存在なのだ。
 実際にトラベルシを欠いたアフリカ予選の序盤4試合は、1勝2分け1敗と苦戦した。しかし、第5節マラウイ戦からトラベルシが復帰すると、残り6試合を5勝1分け。サイド攻撃を武器に自慢の攻撃力が爆発し、強敵モロッコを勝ち点1差で振り切った。
 オランダの名門アヤックスに所属。毎年オフになると移籍のうわさが絶えず、アーセナル、トットナムなどプレミアリーグからも注目される。今回のドイツで自身3度目のW杯。心身ともに成熟した29歳のベテランは、母国を初の決勝トーナメントへ導きたい。

欧州王者の監督

 ロジェ・ルメール監督はフランス代表を率いて00年欧州選手権に優勝。しかし02年W杯は屈辱の1次リーグ敗退を喫した。「トルバドール(吟遊詩人)」と呼ばれ、「我々は学ぶことをやめた時、教えることをやめなければならない」などの名文句でも知られる。

アフリカ勢一番星

 78年のW杯デビュー戦でメキシコを3−1で下し、アフリカ勢初の本大会1勝を挙げた。しかし、その後の8試合は白星なし。

カルタゴの鷲

 紀元前9世紀ごろに栄えた都市国家カルタゴにちなみ「カルタゴの鷲」と呼ばれている。前回大会ではツメの甘さから「H組のカモ」となり、日本の決勝トーナメント進出を後押しした。

ブラジル人エース

 エースFWドスサントスは国民の強い要望で、03年12月にブラジルから国籍を変更。期待通りアフリカ予選7試合で6得点を奪った。

(データは2006年5月1日現在)

チームデータ

過去のW杯
初出場
第11回アルゼンチン大会(1978年)
出場回数
4回
W杯最高位
1次リーグ敗退
基本情報
正式名
チュニジア共和国(Republic of Tunisia)
首都
チュニス
面積
16・4万平方キロ
人口
1000・2万人(2004年)
1人当たりの国民所得
1990ドル(2002年)

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