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西村幸祐コラム

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2006年05月24日

黒船としての2002年W杯…ワールドカップが日本を変えた

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 日本代表が国内最終合宿に入った最初の週末、20日と21日にそれぞれ1万3000人、2万3000人の観衆がJヴィレッジに詰めかけた。「感激して涙が出た」と日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンが感想を述べていたが、これは単に日本代表が注目されているということだけではない。W杯と日本代表という<記号>が、密(ひそ)かに日本文化の地殻変動を促したことを意味している。

 今季好調の巨人戦の視聴率が振るわないことに多くの関係者が首を傾(かし)げている。だが、巨人戦の視聴率低迷と3月のWBC(ワールドベースボールクラシック)の予想外の高視聴率、そして、Jヴィレッジの予想を超える動員に、相関関係があることに気づいている人もいるはずだ。巨人が強ければプロ野球中継の視聴率が回復すると本気で思った人は、この10数年で日本文化がどう変化して来たかということに無頓着(むとんちゃく)だった。

 この変化は、スポーツとメディアの関係が、スポーツの多様化とメディアの多極化の影響を受けて、新しいスポーツ文化のビッグバンを起こして来たということなのだ。

 16年前の90年10月21日が最初の地殻変動だった。この日、鈴鹿で行われたF1日本GPに20万人が集まり、鈴木亜久里が3位入賞したことで、翌日のスポーツ紙の1面を日本シリーズに代わってF1GPが飾ったからだ。日本シリーズが行われたのに、スポーツ紙の1面に来ないなどということは初めてだった。

 その3年後のJリーグ開幕でプロ野球人気に影が差すが、Jリーグブームが去るとまたプロ野球がスポーツのキラーコンテンツとして復活した。だが、F1ブームと同じようにJリーグブームも、ブームが終わった後でも確実に種を蒔(ま)いて育てていた。その種が日本の土壌に根付き、芽を育て太い茎になる課程で、インターネットが96年から急速に普及した。日本中どこでも同じ巨人戦をテレビで放送することが、時代の流れに逆行することになったのだ。

 地域ナショナリズムに根差したJリーグに地上波TVの全国中継は不必要なのに、金太郎飴(あめ)のような巨人戦は全国中継が必要だった。しかも、インターネット、衛星放送とメディアの多極化が進み、大量生産大量消費の時代から、消費そのものも多品種少量販売の時代へ移行した。マスメディアからクラスメディアへとメディア構造も変化した。そんな中で、98年の日本W杯初出場が、世界に繋(つな)がるスポーツとしてサッカーの価値を押し上げたのだ。

 地域コミュニティーとグローバルな「世界」という両極を繋ぐブリッジとして、サッカーは見事に機能した。決定的だったのは2002年日韓大会だった。自国でW杯を開催することで、地域から世界に繋がる回路として、サッカーの一種のトランス感を日本人が体験できたのだ。地域ナショナリズムから日本という国を意識するナショナリズムへトランスする快感を知ってしまった日本人は、とてもそんな美味(おい)しい果実を忘れることはできない。

 しかも、それは、日本という国が国際社会でアイデンティティーを探そうと苦しんでいる時代だからこそ、日本人一人ひとりのアイデンティティー探しとフィットする。

 W杯への日本人の熱狂と情熱を支えるスキームは、WBCが予想以上の人気を集め、無国籍、無地域の巨人戦が惨敗する理由でもある。4年前、人に訊(き)かれるたびに「W杯は黒船です」と答えていたが、まさしく黒船だったのだ。

※写真:日本代表合宿に訪れた多くのファン

西村幸祐(にしむら・こうゆう)
 1952年(昭和27年)東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科中退。在学中に第6次『三田文学』の編集を担当、80年代後半から主にスポーツをテーマに作家、ジャーナリストとしての活動を開始した。93年のW杯予選からサッカーの取材も開始。02年W杯日韓大会取材後は、拉致問題、歴史問題などスポーツ以外の分野にも活動を広げている。著書は「ホンダ・イン・ザ・レース」(93年・講談社)、「八咫烏(ヤタガラス)の軌跡」(02年・出版芸術社)など多数。新著は「反日の超克」(PHP研究所)。
 ホームページアドレスはhttp://nishimura.trycomp.net

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