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西村幸祐コラム

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2006年06月11日

大声で唄え君が代・・・スポーツの価値のために

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 直前に迫ったオーストラリア戦(12日)をはじめ、クロアチア戦でもブラジル戦でも、日本サポーターは大声で君が代を唄うことが、キックオフ直前の選手へのサポートになることを頭の片隅でいいから置いてほしい。それは、スタジアムでW杯の日本戦を観戦できる機会を得た人々にとっての特権でもある。

 これからキックオフという瞬間はスタジアムの空気が一気に凝縮して緊張と期待が弾ける瞬間で、F1GPのスタートにも似た一種の至福の時である。凝縮した空気が頂点に向かう、まさにその過程で国歌の演奏が行われ、サポーターの大合唱がチームを後押しするのだ。スタジアムの空気が一変して、戦闘モードにログインする瞬間である。

 昨年、テレビ朝日に出演した98年フランス大会出場の元日本代表、山口素弘(横浜FC)と城彰二(同)が、試合前の国歌斉唱では「一番気持ちが高まり、高まるとともに緊張し手が震える」と話していたし「国歌斉唱ができるのは、スタメンの11人だけなので、素直にうれしい」と述べていた。

 開幕戦はドイツが順当勝ちしたが、大会2日目の6月10日にはB組で波乱が起き、初出場のトリニダード・トバゴが強豪スウェーデンと引き分けて勝ち点1をもぎ取った。W杯をテレビ観戦するのは16年ぶりになるが、あらためてテレビではスタジアムで起きていることの一部しか伝えられないということを痛切に感じた。

 スタジアムの空気とシズル感(※1)をテレビで伝えることは絶対に不可能なのだ。特に祝祭空間としてのW杯は、ピッチ上のプレーとスタジアム内の出来事だけでなく、スタジアムの周辺、開催地に集まる人々と様々な情報の全てを呑(の)み込んで、W杯自体が魅力的なメディアとなって情報を発信する。97年にフランスで開催されたプレW杯や98年フランス大会で、イングランドサポーターの「God save the Queen」を聴いた時、鳥肌が立った。それがあるから、10日のイングランド対パラグアイ戦でテレビから伝わるイングランド国歌の歌声から、フランクフルトの空気を容易に想像できた。彼らはセカンドハーフ(後半)開始前にも国歌を唄ってイングランド代表をサポートした。フランスサポーターも、試合中でもチャンスになれば「ラ・マルセイエーズ」を大合唱する。

 もっとも「君が代」は日本の伝統である和音階を基調にしていて試合中の応援歌としてはふさわしくないという声もある。ほとんどの国の国歌が軍歌や行進曲なのに対し、君が代は類稀(たぐいまれ)な和の精神を体現している。歌詞も古今集の読み人知らずの和歌なので、これほど日本的なものはない。だが、日本浪曼派の国文学者で歌人の蓮田善明は、かつて「雅(みやび)は敵を撃つ」という言葉を残している。つまり優雅なもの、雅やかなももの、なよなよしたものに、破壊力があるという意見である。「柔をもって剛を制す」という意味ではなく、「手弱女(たおやめ)ぶり」(※2)が「益荒男(ますらお)ぶり」を秘めているというロマンチックなコンセプトだ。

 だが、君が代を肯定的にとらえる人ばかりではない。卒業式のシーズンになると年中行事のように、日の丸を含め君が代を敵視、蔑視する声も聞こえてくる。そういう中で最も代表的な主張は「君が代が戦争の記憶を思い起こさせる」というものだ。個人的な経験から「想起してしまう」というのであれば特に言うべき言葉はないが、それを政治的主張とするのであれば、明らかに整合性を欠いている。なぜなら、第2次大戦時、つまり戦争の時代に君が代は日本の国歌であったのは事実だが、日本国憲法の下、戦後60年以上、戦争がなかった平和な時代にも君が代は日本の国歌であり続けたのだから。

 そもそも世界の多くの国の国歌は軍歌のような歌が多い。中国の国歌「義勇軍行進曲」の歌詞の一部を紹介すると「われらの血と肉をもって われらの新しき長城を築かん 敵の砲火に立ち向かうのだ 進め 進め 進め」。これを聞いて戦争を想起しない人などいないだろう。フランスの国歌にいたってはさらに直接的であり、攻撃的だ。こういった状況を踏まえた上でなお「君が代の歌詞、メロディーから戦争を想起する」というのであれば、何ともたくましい想像力と言うほかない。あるいは、何らかの政治的意図を持った発言と言っていいだろう。

 そんな政治利用されていると言っていい「君が代」を政治的文脈から救い出せるのが、サッカーの、そして、スポーツの特権である。戦後教育と特殊なイデオロギーによって貶(おとし)められてきた「君が代」を大声で唄うことができるサポーターは、戦後というコンテクスト(※3)から自由になれるのである。

 日本のサポーターが国歌を唄うようになったのは1993年からだが、何か腫れ物に触るような感じで唄っていた。アメリカW杯最終予選の壮行試合だったアジア・アフリカ選手権、対コートジボワール戦でやや気後れが取れ、歌声が一番大きくなったのはカタールの最終予選だった。その後、97年フランス大会の最終予選、98年フランス大会で歌声の響きはピークに達したが、2002年大会ではホームとは思えない小さな声量だった。

 2002年日韓W杯直前に公開されたブータン映画、「ザ・カップ・・・夢のアンテナ」の1シーンを私は忘れることができない。チベット寺院が舞台で、寺院で禁じられているW杯観戦を必死に試みる少年僧が主人公なのだが、主人公のロドゥ少年がこんなことを言う。

 「フランスはチベットを支援しているから、僕はフランスを応援するんだ」
 修行僧たちの先生であるトップゲンはこんな言葉を呟(つぶや)く。
 「チベットの国歌を歌える日は来るのかな?」

 中国政府による厳しいチベット弾圧の実態は、中国政府が「チベット問題は国内問題」(※4)と主張しているせいもあって日本のメディアが及び腰になっているのか、あまり伝えられることがなく、ほとんど窺い知ることができない。「ザ・カップ・・・夢のアンテナ」のこんな科白(セリフ)の背景には、98年フランス大会当時、フランス全土で大ヒットしていたダライ・ラマ法王の半生を描いた「クンドゥン」という映画がある。「クンドゥン」はマーチン・スコセッシが監督し、音楽はフイリップ・グラスが担当。世界的に大ヒットしたが、不思議なことに日本ではあまり話題にならなかった。

 「ザ・カップ・・・夢のアンテナ」は低予算の映画ながら、逆の位相からハリウッド映画「クンドゥン」に迫るメッセージを観る者に伝えてくれた。この2つの映画が素晴らしかったのは、政治的なメッセージを織り込みながらも、決してプロパガンダにならなかったことだ。要するに、伝えたいメッセージの第一義的なものに政治が置かれていないのである。誤解を恐れずに言えば、レニ・リーヘンシュタールの「民族の祭典」(※5)が、ヒトラーの加護の下で撮られたにもかかわらず、優れた映画であることと同じ理由だ。

 日本代表は2004年の中国のアジア杯で、プレーはもちろん、通常、尊重されるべき国歌の場面でも激しいブーイングを受け、反日デモや選手の乗ったバスへ石が投げられるなど、まさに政治的な喧騒(けんそう)下で戦ったが、それを振り切り、素晴らしい優勝を成し遂(と)げた。北京工人体育場でスポーツによって、スポーツの価値を救済したのだ。日本代表や国歌に対する、スポーツを政治に従属させる政治的ブーイングから、スポーツの価値をスポーツ自体によって守り抜いたのだ。そんな彼らをサポートするためにも、君が代を大声で唄ってほしいと思う。

 少なくとも2002年以前にアウエーで屈辱を味わったサポーターは、思い出してほしい。サンドニの屈辱(日本0-5フランス)を味わった2001年3月のフランスサポーターの蛮声とも言える7万人のフランス国歌の大合唱も、私の耳から離れないのだ。

※1 シズル感・・・広告業界で使われる言葉。肉がジュージュー焼ける音が転じ、商品のみずみずしいリアルな感じを表す言葉として使用される。ここでは、リアルな臨場感という意味。

※2 手弱女(たおやめ)ぶり・・・江戸時代末期の国学者、歌人、賀茂真淵の言葉。女性的で優雅な歌風を指す。古今集以後の歌風を否定的にこの言葉で表現した。対して、万葉集の歌風を「益荒男(ますらお)ぶり」という。

※3 コンテクスト・・・状況、背景、文脈。

※4 チベット問題・・・中国によって第2次大戦後、独立国であったチベットが併合された問題。中国は「以前からチベットは中国領であり、チベット問題は国内問題」と主張しているが、今でも抵抗運動は続いている。

※5 民族の祭典・・・女性の監督レニ・リーヘンシュタールが撮った1936年ベルリン五輪の記録映画「オリンピア」(1部『民族の祭典』2部『美の祭典』)。38年公開、ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞。ナチスのプロパガンダと批判された時期があったが、斬新な映像と表現が高く評価されている。

写真は国旗を顔にペインティングしたイングランドサポーター。彼らも国歌を大声で歌ったのだろうか(ロイター)

西村幸祐(にしむら・こうゆう)
 1952年(昭和27年)東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科中退。在学中に第6次『三田文学』の編集を担当、80年代後半から主にスポーツをテーマに作家、ジャーナリストとしての活動を開始した。93年のW杯予選からサッカーの取材も開始。02年W杯日韓大会取材後は、拉致問題、歴史問題などスポーツ以外の分野にも活動を広げている。著書は「ホンダ・イン・ザ・レース」(93年・講談社)、「八咫烏(ヤタガラス)の軌跡」(02年・出版芸術社)など多数。新著は「反日の超克」(PHP研究所)。
 ホームページアドレスはhttp://nishimura.trycomp.net

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