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ヒデ、現役引退を表明

【日本-ブラジル】2点目を許した直後の中田(撮影・宇治久裕)
【日本-ブラジル】2点目を許した直後の中田(撮影・宇治久裕)

 日本代表MF中田英寿(29)が3日、現役引退を表明した。自身の公式サイトで発表した。W杯1次リーグ第3戦でブラジルに1-4と敗れた試合後、ピッチに寝転んで泣くような姿を見せていたが、それが最後の姿になった。日本でただ1人のW杯10試合出場(1得点)、代表通算77試合11ゴールなどの数字を残した。Jリーグでプロデビューし、セリエAとプレミアリーグでプレーするなど、海外で活躍する日本人選手の第一人者だった。

 最後まで中田は中田らしかった。自身の公式サイト(nakata.net)での突然の表明で、現役に別れを告げた。W杯1次リーグブラジル戦後、ピッチに横たわったまましばらく動かなかったが、最後の芝の感触をいつまでも味わっていたいという、そんな気持ちだったのか…。顔にかけられたブラジル代表ユニホームの下では、こみ上げるものもあったのかもしれない。

 98年フランス大会(3試合0得点)、02年日韓大会(4試合1得点)、06年ドイツ大会(3試合0得点)と、日本の出場したすべてのW杯本大会のすべての試合に出場した。その3回目の世界への挑戦は、無惨だった。最後と決めていた大会で、中田英のキャリアは終わった。

 ブラジル戦前の21日、「この試合が最後にならないことを信じ続けて…」と引退をにおわせるメッセージを寄せていた。また、今春のアジアサッカー連盟(AFC)のインタビューにも「06年W杯では個人的な成功を収めたいと強く思っている。たぶんこれが最後のチャンスだろう」と話していた。

 93年U-17(17歳以下)世界選手権、95年ワールドユース(20歳以下)、00年シドニー五輪(23歳以下)と、世代別の3大会すべてで世界のベスト8入りを経験している。だが、W杯では02年の16強が最高で、ベスト8のカベを破ることができなかった。

 A代表には96年アトランタ五輪に出場した翌97年の韓国戦(5月)でデビューした。以来、出場したAマッチは77試合。代表の背番号で、大好きな7が並ぶ数字は、潮時を示していたのかもしれない。

 70~80年代にブンデスリーガでプレーした奥寺康彦以来、欧州で活躍した日本人選手だった。98年に移籍したペルージャでは、いきなり10ゴールをマーク。ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナと、05年まで7シーズンにわたってセリエAでプレー。05-06シーズンはプレミアリーグのボルトンに活躍の場を移していた。01年のパルマ移籍の際には、日本人史上最高で今後もおそらく破られることのない31億円の移籍金を記録した。中田英の価値を何よりも証明するものだった。

 現役のうちから東ハトの執行役員を務め、ビジネスにも興味を持っていた。イタリア語、英語を話せる語学力や、幅広い人脈もある。第2の人生もまた、中田らしいものになりそうだ。

[2006年7月3日22時57分]


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