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自由が生んだ守備の迷い/検証ジーコ日本

 ジーコジャパンが「世界を驚かす」ことを目標に臨んだW杯で惨敗した。2大会連続の決勝トーナメント進出どころか、1次リーグ3戦で1勝もできず、世界の厚い壁にはね返された。「自由」をテーマに掲げ、選手自身が自分たちで考え、プレーするジーコ流の4年間は不本意な結果で終えんを迎えた。「検証 ジーコ日本1431日」と題して、この4年間を検証する。第1回は「自由」について。

 創造性に富んだ、世界を驚かすにふさわしいゴールだった。W杯ドイツ大会前の5月30日、ドイツとの親善試合。相手右CKから中村、柳沢らを経由して、わずか13秒で高原が得点。世界から絶賛されたゴールに、ジーコ監督が4年間追い求めたものの一端がかいま見えた。

 規律を重んじた前任のトルシエ氏とは正反対に、ジーコ監督は選手に自由を与えた。戦術について細かい指示を出すことはほとんどなく、選手が個々に判断することを求めた。「サッカーには同じ状況などあるはずがない」とジーコ監督はいう。だからこそ、ベンチから1つ1つのプレーに指示など出せるはずがない。局面局面に応じて選手が自分自身で最良のプレーを考え、実践していく。それがジーコ流だった。

 「指示待ち」に慣れている日本人に、このやり方は当初、理解されなかった。日本協会の川淵キャプテンは「自由=自分の好き勝手にサッカーをすること、指示をしないのはジーコが監督としての戦術を持たないから。そんな言われ方をしたときもあった」と述懐する。しかし、長期間の合宿を積みジーコ流が浸透し始めると、選手たちは自分たちで考え、プレーするように変わった。W杯で結果が出なかったジーコ流だが「日本スポーツを変えるきっかけになった」と同キャプテンは評価、今後もこの路線を継承する方針だ。

 ただ、限界もあった。ある程度個人の裁量に任される攻撃と違い、組織の意思統一が必要となる守備に迷いが生じた。昨年5月のキリン杯で日本は2連敗。W杯最終予選第4、5戦を前に中田英ら欧州組も加わったアブダビ合宿。5月31日の紅白戦で主力組は0-1で負けた。原因は、前線と守備陣で、どこからボールを奪うかの考えがバラバラだったことだ。中田英は「そんなことは監督が決めることだろ」と言った。だが、ジーコ監督からの指示はなく、選手だけで話し合ったが結論は出なかった。

 それから1年。ドイツ入り直後だった。本番を想定した紅白戦で同じように守備での課題が噴出した。坪井は「ヒデさん(中田英)は『後ろから押し上げてもらえればプレスをかけやすい』と言っていたが、僕ら(DF)からは『もっと前からプレスをかけてくれ』と言った」。1年たっても意思統一は進んでいなかった。ジーコ監督はオーストラリア戦直前になってオフサイドトラップ、ロングスローへの対応と、今までにない練習まで行った。細かい指示も出した。あるDF選手は「ありがたかった」としみじみ言った。それが本音だった。

 6月12日のオーストラリアとの初戦。日本は1-0とリードした後半、相手のパワープレーに下がる最終ラインと前線が間延びした。日本がずっと抱えてきた不安が、オーストラリアの徹底的した攻撃にあぶり出された。プレスが緩んだロスタイムを含めた残り9分間、耐え切れなくなった日本は3失点した。ピッチで与えられた「自由」。方向性は間違っていなかったが「成熟していなかった」と、ジーコ監督は大会後に話した。経験豊富なヒディンク監督に弱点を突かれ1-3の逆転負け。それがジーコジャパンの命取りになった。【日本代表取材班】

[2006年7月11日8時45分]



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