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ファミリースタッフに?/検証ジーコ日本

 1次リーグ1分け2敗、3試合で得点2、失点7と数字からみてもジーコジャパンの惨敗は明らかだった。日本協会の川淵キャプテンも「アジアから出場した4チームの中でも(サウジアラビアと並ぶ)最低成績。おわびしたい」と不本意な結果を率直に謝罪した。

 「世界を驚かす」「カップを奪いに行く」などの発言でジーコ監督は大きな期待を抱かせた。それだけに失望も大きかった。ある日本協会幹部は「選手がよくやりたいと話す『自分たちのサッカー』ができたのなら納得できる。しかし、今回は持てる力の半分も出せなかった。ジーコジャパンのスタッフにはW杯の経験がない、という問題があった」と指摘した。

 立ち上げ当初はアテネ五輪代表監督の山本昌邦氏(前磐田監督)がコーチとして入閣。しかし、五輪代表専念という形でわずか2試合で代表から外れた。また、04年2月には監督と選手とのパイプ役として日本代表OBを補佐コーチとしてチーム入りさせるプランもあったが、ジーコ監督は拒否した。「ジーコファミリーでスタッフを固め『物申す』人がいなかった。最後は(チーム内に)誰もジーコに対して言える人がいなかった」と協会幹部。

 ブラジル代表ザガロ氏のように、チーム全体を客観的に見て、的確なアドバイスをできる人材がいれば少しは違ったかもしれない。ジーコ監督は最終ブラジル戦を終えて「元気がない選手に誰かがハッパをかける、こういう部分で厳しく付き合っていかないと。ただ単純な仲良しクラブではW杯の成功は難しい」と話した。選手を指しての発言だったが、協会内部ではジーコジャパンのスタッフに対し、同じような見方をする幹部がいたのも事実だった。

 「伝えるべきものはすべて伝えた」。ジーコ監督は大会中、そう言い続けた。しかし、選手の資質の部分もあるとはいえ、決定力不足、守備での高さへの対応などの課題が改善されたとは言い難かった。26日の退任会見では「(国内最終の)Jヴィレッジ合宿ではけが人も多く、スタミナ系のトレーニングが2日ぐらいしかできなかった」と言った。誤算を修正できないまま、オーストラリア、クロアチア両戦の終盤には暑さも手伝ってスタミナ切れも起こした。

 協会幹部は「2005年宣言ではないが、代表チームにも具体的な目標を持って臨むべきだった」と言った。ジーコ監督、そしてジーコジャパンの功罪をきっちり精査し、日本協会は10年南アフリカ大会へ向けてスタートする。監督がほぼ全権を掌握したジーコジャパン。勢いがあるとき、流れがいいときは良かったが、チームが傾いたときにはもろさとなって跳ね返った。【日本代表取材班】

[2006年7月15日7時36分]



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